未来04

未来04

タイトル : 未来04

制作者 : hitsujikai

インターネットがインフラとして浸透し、見えない領域で情報が瞬時に流動する。この無数の情報が常に降り注ぎ、真実と虚偽が混在することとなった。しかし、この両者が混ざり合うことで、未来の方向性や社会の在り方が模索しにくくなる。この映像は拡散する情報を象徴し、様々な色と模様が変化し情報の複雑さを反映する。情報は黒から白へ、様々な色と形を持ちながら拡散する。黒い情報は混沌と不確かさ、白い情報は信頼性と真実を表す。惑わされず、制限されすぎない未来はあるのか。その情報はどんな色と形をしているだろう。

未来03

未来03

タイトル : 未来03

制作者 : hitsujikai

人と情報が渦を巻く。この映像は原色のピクセルが移動し、凝縮されたり複製されたり、流れを作り出す。ピクセル同士が交わる瞬間に生まれる変化や、模様が複雑に絡み合う様子は予測できない未来の動きや関係性を暗示する。これらの細部を観察することが先の理解を深める手がかりとなる。未来は予測困難ながらも、細部の中に存在する情報や動きを注意深く観察することで、その先の展望が少しずつ明らかになって行く。未来がどう動いていくか、今を追い続けながら探求していくことがヒントになるかもしれない。

未来02

未来02

タイトル : 未来02

制作者 : hitsujikai

物事は常に流れている。未来は常に流れの中に位置し、過去からの影響を受けながら現在を通過し、未来へと進んで行く。流れに身を任せればどんどんと流れていく。立ち止まると他は先へ行ってしまう。流れの中で生まれる出来事や変化が、未来を形成し、未来がまた新たな流れを生むといった相互の影響が存在する。未来と流れは互いに補完し合い、私たちの人生や社会の進化において重要な役割を果たしている。次はどんな流れがくるだろう。その流れに乗るべきだろうか、あらがうべきだろうか。

未来01

未来01

タイトル : 未来01

制作者 : hitsujikai

矢印、その小さな形状が私たちの周りに無数に存在し、時には単なる指示器として機能する。その様子は未知の方向を示唆し、時には特定の場所を指し示し、情報やメッセージを伝える。この映像の矢印は時折見えなくなり、方向性を見失ったかのように混沌とした変化を表す。その一方で、再び明確に姿を現し、新たな可能性を示唆する瞬間もやってくる。現代の複雑さと矛盾を矢印はどのように表象するのか。自信が揺らぐとき、立ち尽くすとき、矢印はどこを指し示し、どんな形をとるのか。人々は未来が見えずとも、何かに気づき、進むべき方向へ進んで行く。自身が、導く方向を示すのか、導かれる方向を示されているのか、その手がかりは矢印なのかもしれない。

部屋

部屋

タイトル:部屋

制作者:浅尾楽

今回の映像は4面のモニターを使って部屋のような空間を作れないかと試してみました。実際に3D上で柱に沿った部屋を制作し、照明や物体を動かすことで、場所によっては立体的に見えるかもしれません。映像を通じて普段とは違ったクリスタル広場の空間としての魅力を引き出したいです。ぜひさまざまな角度からみてみて下さい。

Forming “A”

Forming “A”

タイトル:Forming “A”

制作者:森田明日香

フォントや形状が変化しても「a」だと認識することができるのは形にイメージの遊びが存在するためです。字体の形状や寸法によって変化する動きに情動パターンを見出し、鑑賞者へ想像力を働きかける試みです。

Waves

Waves

タイトル:Waves

制作者:塩澄祥太、石塚隆

これは4つの大型ディスプレイ上で、ダンサーが踊る様子を捉えた作品です。4つのディスプレイは自動生成された映像を流しています。ダンサーは、映像とリンクしたダンスを踊ります。観賞者は、ダンサーが踊るだけでなく、4つの大型ディスプレイに映し出された映像とダンスのコラボレーションを楽しむことができます。

trees

タイトル:trees

制作者:竹本誠

私は、自然の中に長くいると、自然と自分の境界が曖昧になっていくように感じることがある。今回の映像作品では、植物の中を駈け抜けて森の中に入っていくような感覚を表現しようと思った。植物の種類は、普段私達が、雑草と呼ぶ草花や、植林された林でよく見かける杉などの針葉樹を選んだ。森の入口を走り抜けて自然の中入って行く一瞬の映像。そんなシーンを3DCGの植物でつくりました。

フワモフ

タイトル:フワモフ

制作者:太田宙、嶋晏澄

昨今のアニメではCGのレンダリング方法をセルアニメのような見た目にすることで、違和感なく組み合わせるような技術がある。本作品は、そのような複数の描写が合わさった映像で行われる描写の違いを、どちらかに合わせようとするのではなくわざと隔たりを作ることで、画面の中の不和自体を表現にした作品である。また図と地が反転することで、手書きアニメーションとCGの描写の関係性を変化させることを試みた。